2012年5月9日水曜日

嫌われ者になるって、周囲のためになることがあると思うんです。

嫌われ者になるって、周囲のためになることがあると思うんです。
人間、何かしら見つけてケチつける対象を探してるんじゃないかと思うのですが、自分が悪者になっとけばまあいいや、と思っています。で、人の仕事ミスなど、代わりに自分がミスったことにしたりしますが特別イヤな気分にもなりません。それでみんながスッキリするんなら良いことだと思う。

しかし、たまに、ムショーに辛くなるんですよね。自分の中ですごく矛盾してるなと思います。

この、ムショーに辛くなることがなければ、人の役に立ってるし

満足できるのになあと。自分の本音だって理解してほしい、なんて心の中で思ってるとしたら、そいいう心理要らないんじゃないかと思うんです。自分の感情をコントロールする方法ないでしょうか。







きっと自分の感情をコントロールする為に知恵袋に投稿されてるんだと思います。これ自体が一つの方法になっているように、やはりどこかで意図的に貧乏くじをひいてることを他の人にわかっていてもらいたいんでは??ただ、直感でまだお若い方だと思いますし、情緒などの面で完璧になることなど無理ですし、そのくらいで人間らしくていいんじゃないでしょうか?その役目を買って出られるだけ、立派だとおもいます。








その場では、確かに感情的になる(内心)のは私も同様です。いつも忘れてしまうのですが、念仏を。「情けは・・・」とか、「損して・・・とか」

なかなか、バリエーションを増やすのも苦労してこそだと、観念しています。

冷静な時には、寛大な自分が憎いです。「仏の顔は・・・」も時には必要だと感じています。

「急いては事を・・・」で、「七転び・・・」が、「七転八倒」になってしまいます。

素直に活きたいけど、邪悪な心が邪魔します。悪しからず。愚痴っちゃいました。







いい人生を送っているなあ・・・読んで気持ちいいよ!

その通りです。ならば、どうでしょう、座右の銘を持ちましょう。

情けは人の為ならず。ってのがアナタにはお勧めだな。ご存知のように、情けをかけるのはその人の為にならないという意味ではなくて、情けは自分の為にあるんですよ。巡りめぐって、結局、自分に帰ってくるっていう意味ですよね。

共感いたします。

Go ahead!

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